とある底辺ゲーム実況者のブログ

底辺ゲーム実況者、此野咲れむのブログです。

幸せになる方法

「これを手にいれれば、きっと素晴らしい幸せが待ち受けているだろう」


誰しも、そういうモノはあると思う。
お金であったり、地位(名誉)であったり、物理的なモノ、
恋人やペットであったりする。

しかし、わりとオッサンになってしまった僕のこれまでの経験からいくと、
そういうものを手にしていくだけでは、幸せが中々つかめない。
少なくとも「満たされた」状態にはならない


例えば、ゲーム実況者らしくゲームに例えてみる。
○○という最新鋭機種のハードがあったとして、それをとても欲しがっていたのだけれど
いざ購入すると、もっとソフトが沢山欲しいとか、結局購入しなかった競合機種の△△が
なぜか急に欲しくなってくる

結局、○○でのプレイもほどほどに、△△を入手するための金策に走りはじめる。
実は○○でただぼーっと遊んでた方が楽しいのかもしれないのに、そうなってしまう。

こんな感じで、人間はほしいものを手に入れてしまうと、
次にもっと別の、より良いと思えるものが欲しくなっていく。


それを根源的に突き動かすのは、
「より高い、別のところから、広い世界を眺めたい欲望」(勝手に命名)
だと思っている。

つまり、山の中腹くらいまでを目標に、苦労をして登山をする。
すると、一つ上の高台が目に入り、そこに行けばもっといい眺めになるだろうと思って、
その中腹での眺めを堪能する暇も無いままに、また次の高台まで登りたくなる。

気がついたら、モノを手に入れる苦労が人生の大半を占めるようになっている。
手に入れたものをじっくりと楽しむことは、二の次だ。

人生の時間が有限であることが、周りの人間が早く走り続けていることが拍車をかける。
なんとなく、自分は変わり続けないといけない、
遊びにおいてすら、たかがゲームの話ですら、同じ場所に居続けることに抵抗を覚える。

暇で何もしていない事が怖い。変わっていかないことが怖い。


たまに、仏教の本などを読むと、そういう悩みや苦悩は釈迦の時代からあるらしいことにも気づく。
だけど、出家して仏道に進むような勇気もない。
恋人などぞ作ってそういう事から気を紛らわす人も多そうだが
それは本質的な解決に思えず、実行できない。
どうすればいいのかも分からない。

ただ一つ結論らしいものは、月並みな話になってしまうが
モノは僕をあまり幸せにしてくれないらしいということだ。